大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪高等裁判所 昭和43年(う)1192号 判決 1968年11月30日

主文

原判決を破棄する。

被告人を禁錮六月に処する。

ただしこの裁判確定の日から四年間右刑の執行を猶予する。

原審および当審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

<前略>

弁護人佐伯千仭、同鏑木圭介、同米田泰邦の控訴趣意第一点は、原判決判示第一の事実につき、道路交通法一一七条の二の一号にいわゆる酒酔い運転の罪は故意犯であり、したがつて、同罪が成立するためには、同号の客観的構成要件要素である同法六五条の酒気帯び運転禁止の規定に違反して酒に酔い車両等を運転すること、すなわち、アルコールの影響により車両等を正常に運転することができないおそれのある状態にありながら車両等を運転することについて犯意の存在を必要とするところ本件被告人においては、みずから酒気を帯びていたこと、すなわち同法施行令二六条の二所定の呼気一リットルにつき〇、二五ミリグラム以上のアルコールが検出できるほどの酒気を身体に保有していたことおよびアルコールの影響により正常な運転をすることができないおそれのある状態にあることのいずれについても、認識又は認容を有していた点の証明がないにもかかわらず、酒酔い運転の犯罪事実を認めた原判決は事実を誤認したものである旨を主張する。

そこで、所論にかんがみ、訴訟記録に徴して本件事案を検討してみると、本件は、被告人の下で働いていた被害者田中国夫が独立して建設業を営むことになつたので、被告人がその独立祝いをしてやろうと考え、右田中のほか一名の仲間を誘い、両名を自分の乗用自動車に同乗させてみずからこれを運転し、まず五条市内のお好み焼き屋にいたつて飲食し、一人あたり約〇、五四リットル(約三合)の清酒を飲んだのち、再び被告人みずから自動車を運転して高野口町所在のすし屋におもむき、同所で被告人はさらに約〇、一八リットル(約一合)の清酒を飲み、その帰途、被害者らを右自動車に同乗させて原判決判示第一の酒酔い運転の行為に及んだものであつて、当時被告人が、同判示のとおり、呼気一リットルにつき少なくとも一ミリグラムのアルコールを身体に保有し、その影響によつて、運転操作が乱暴になり、同乗者において危険を感ずるほどの正常を欠く状態であつたことは、原判決挙示の各証拠によつて動かしがたい事実と認められる。ところで、かような酒酔い状態に関する被告人の認識の点を調べてみると、前記のように、被告人は当初から被害者らと祝酒を飲み交わすことを予定したうえで自己の自動車を運転して出かけたものであつて、自分が飲酒したのちに他の者に自車を運転させるか又は外泊もしくは長時間の休息等により酒気が消失してから自動車の運転をしようと考えていた形跡は全く認められないから、基本的に飲酒運転をする意思を有していたことは否定しえないところであり、さらに、被告人の検察官に対する供述調書によれば、被告人は、前記すし屋を出て自車の運転を開始するころには、だいぶ酔つていて安全な運転をすることのできないおそれのあることをみずから感じており、それにもかかわらず、あえてその運転を開始し、走行してゆくうちに、眠気をもよおし、手足の感覚もいくぶん鈍つている状態を自覚していた様子が明らかに看取される。所論は、右供述調書中の記載が検察官の作文であるとしてその信用性を争うが、該供述調書は、原審において被告人が証拠として同意したうえで取り調べられたものであり、同じく被告人の同意のもとに取り調べられた被告人の司法警察員に対する供述調書中にも、すし屋を出るころには少少酔いがまわつていることは知つていたが、ほろ酔いくらいで運転することができないほどではなかつた旨の供述記載部分のあることや、自己の行動経過に関する前後の供述記載部分と照合すれば、前記検察官に対する供述調書中の対応の供述記載部分のみが、要件事実にあてはまるように検察官の作意によつて記述されたものと考えることはできない。もつとも、被告人は、原審公判廷において、自分は約一、八リットル(約一升)の酒を飲んでも、顔に出ることがなく、酔つた感じがしないほど酒には強い方である旨供述しているが、右公判廷の供述によれば、被告人は本件の前夜マージャンをして十分睡眠をとつていなかつたことや、当夜空腹時に飲酒したこと等が認められるところから、合計約〇、七二リットル(約四合)の飲酒量で、前記検察官に対する供述調書にみられるような酒酔い状態に達し、その自覚があつたとしても、少しも不自然なことではない。そして、所論が論議を展開している道路交通法一一七条の二の一号にいわゆる酒酔い運転の罪の性質について考えてみると、同法が、他の違反行為のうちに、特に過失による場合をも処罰する旨の規定を設けていながら、右酒酔い運転の行為については、過失による場合の処罰規定を置いていない点からして、同罪が、刑罰法令の一般原則に従い、故意犯に属することは所論のとおりであると解されるが、右法条が道路における危険の防止と交通の安全とを確保するための取締規定であり、したがつて、その構成要件も取締の客観的基準を明確にすることを主眼として定められているものと解すべき点からして、ここに要求される犯意は、規定の用語から分析される各部分的事項のすべてにわたつてくまなく認識が及んでいなければ成立しないものとは考えられない。すなわち、同条は、同法六五条のいわゆる酒気帯び状態がさらにこう進して酒酔い状態に達した場合における車両等の運転を処罰の対象としているものであるが、かかる酒酔い状態なるものは、素朴な社会通念としては容易に理解しうるごとくみえても、その程度を現象として客観的に把握することには、当然不明確と不統一とを招くことを予想しなければならない。かような不明確と不統一とに対処するため、酒酔い状態なるものの客観的把握の基準を説明したのが、右法案のかつこ内に掲げられている「アルコールの影響により車両等の正常な運転ができないおそれがある状態」という文理であつて、右は、要するに、酒酔い状態なるものについて、車両等の運転能力と関連づけながら、その可罰性を帯有するにいたる限度を客観的現象的に示した解釈文言にすぎないものとみることができる。換言すれば、右法条の構成要件は、所論の理解するように併列的に規定された複数異質の構成要件要素から成り立つているものではなく、窮極するところ、一定の限度を越える飲酒運転という単一事項の可罰性を規定したものにほかならず、しかも、その限度は、右のように客観的現象的に把握判定されるべき性質のものと解されるから、この場合の犯意は、みずから飲酒により相当量の酒気を保有する状態において車両等を運転するという右単一の構成要件要素に関する認識があれば、これをもつて足りるものと理解してよいことになる。これをさらにふえんすれば、右事項に関する認識がある以上、自己の体内に保有する酒気の正確な数値まで知つていることを要しないのは勿論、その保有するアルコールが自己の知覚、判断、運動等心身の機能にどの程度の影響を及ぼしているかの点、すなわち、アルコールの影響により車両等の正常な運転ができないおそれがある状態にあるという点までを具体的に認識していなくても、同条の罪の犯意として欠けるところはないと解されるわけである。したがつて、飲酒運転の行為者において、主観的に、その飲酒の程度が法定の限度を越えることなく、正常な運転をすることができないおそれはないといかに確信していたとしても、かように確信するについて相当の合理的な事由又は特段の事情が認められる場合を除いては、右のごとき主観的判断をもつて前記法条の犯意の存在を否定することはできないものといわなければならない。本件被告人の場合は、単に平素酒に強い方であつたというにとどまり、前記のように基本的な飲酒運転の認識があつたうえに、相次ぐ飲酒により、本件自動車の運転を開始又は継続するにあたつて、自己の心身の状態にかなりの変異のあることを自覚認識していたことが明らかに認められるのであるから、前記法条の罪の犯意が存在したことについては、なんらの疑義をさしはさむ余地もないと考えられる。かくして、原判決が同判示第一の犯罪事実を認定した点について所論の主張するような事実の誤認は認められないので、この点の論旨は理由がない。

右弁護人らの控訴趣意第二点は、原判決の認定によれば、同判示条一の酒酔い運転の行為は、同時に、同判示第二の業務上過失致死の事実における過失の内容そのものをなしているのであるから、右両罪は観念的競合又は少なくとも牽連犯として処断されるべきであり、かように解したとしても、いわゆる酩酊運転と業務上過失傷害とを併合罪の関係にあるとした最高裁判所昭和三八年一一月一二日判決が、過失の内容として酩酊運転のほかに前方注視義務違反等事故発生直前の注意義務違反をも認定したうえでの罪数見解を示したものとみられるところから、なんら同判例の判旨に背馳することにはならないにもかかわらず、本件両罪を併合罪として処断した原判決の罪数評価は、法令の解釈適用を誤つたものであると主張する。

そこで、所論の点について考察してみると、原判決判示第二の事実は、その判示するとおとり、酒酔い状態における自動車運転中止の義務に違反してその運転を開始継続したことに専ら被告人の過失が問われるべき事犯であり、原判決が摘示している仮睡状態、速度制限標識の無視と加速運転、道路の曲折地点における操作の誤り等の諸点は、いずれも右酒酔い状態における運転中止の義務違反によつて招来さた事態の発展経過たるにとどまり、過失と認めるべき原因行為の内容自体を構成しているものでなく、原判決もその趣旨においてこれらの諸点を摘示しているものと理解しなければならない。すなわち、判決判示第一の酒酔い運転の行為は、同時に、同判示第二の業務上過失致死における唯一の過失内容として評価されるべく、原判決もかかる評価のもとに事実の認定をしているものであるから、本件の場合は、両者をもつて一個の行為で数個の罪名に触れるものとして処断するのが相当と考えられ、かく処断することは、所論のとおり、事案および事実認定を異にする所論指摘の最高裁判所判例の判旨になんら反するものではないと解される。したがつて、本件両罪をもつて併合罪として処断した原判決は、法令の解釈適用を誤り、この誤りは処断刑の範囲に相違をもたらす等判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、この点の論旨は理由があり、右弁護人らの控訴趣意第三点および弁護人西山俊彦の控訴趣意に主張されている量刑不当の論旨について判断するまでもなく、原判決は破棄を免れない。

よつて、刑訴法三九七条一項、三八〇条により原判決を破棄し、同法四〇〇条ただし書により当裁判所においてさらに判決をすることとする。

原判決の認定した各事実に法律を適用すると、同判示第一の所為は道路交通法一一七条の二の一号、六五条、同法施行令二六条の二に、第二の所為は刑法六条、一〇条により昭和四三年法律六一号による改正前の刑法二一一条前段、罰金等臨時措置法三条一項に各該当するところ、右は前記のとおり一個の行為で数個の罪名に触れる場合にあたるから、刑法五四条一項前段、一〇条により重い第二の罪の刑により処断すべく、所定刑中禁錮刑を選択し、なお、前記量刑不当を主張する各控訴趣意にかんがみ、本件の情状を考えてみると、酒酔い運転によつて被害者を死亡するにいたらせた事犯の責任が厳重に追求されるべきものであることはいうまでもないが、叙上のとおり、本件は被害者の独立祝いの会食飲酒が起因となつた不幸な事故で、被告人の無分別もさることながら、被害者もまた被告人の飲酒運転を承知のうえでその自動車に同乗してあるいたものであること、訴訟記録および当審の事実取調の結果によれば、被告人は深く反省自粛して飲酒を絶ち、ひたすら被害者の遺族の慰藉につとめ、自動車損害賠償責任保険の保険金三〇〇万円のほか慰藉料等一一四万円余を贈つて示談を遂げ、被害者の遺族も宥恕の意思をあらわしていること、被告人には、傷害、暴行等の罪により罰金刑に処せられた犯歴はあるが、反面、居住地の村議会議員を連続三期つとめた社会的実績を有すること等の諸事情が認められ、かかる情状に照らせば、本件によつて被告人を直ちに刑に服させるよりは、相当の期間その執行を猶予して被告人の自重に期待することの方が一層刑政の目的にかなうものと考えられるので、所定刑期の範囲内で被告人を禁錮六月に処した上で、刑法二五条一項を適用してこの裁判確定の日から四年間右刑の執行を猶予することとし、原審および当審における訴訟費用は刑訴法一八一条一項本文により全部被告人の負担とし、主文のとおり判決する。(畠山成伸 八木直道 西川潔)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例